広島高等裁判所 昭和40年(う)321号 判決 1966年9月30日
控訴人・被告人 林明 外一名
弁護人 田坂戒三 外一名
検察官 高橋源治
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
弁護人田坂戒三、同井出正光の控訴の趣意は記録編綴の同弁護人ら共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
論旨第一点 法令の適用に誤りがあるとの主張について。
所論は、刑法第一五九条の文書偽造罪は文書の作成名義を偽ることにより成立するものであるが、原判示第一、第二の事実につき、同判示遺言書の作成名義人は遺言者ではなく、当該遺言者の遺言を筆記した証人、すなわち被告人大塩義政であるにかかわらず、原判決はこの点に関する民法第九七六条の解釈を誤り、同法条による遺言書の作成名義人は、当該遺言者であると認定判示し、被告人両名が、遺言者である原判示大塩安禧の遺言書を偽造し、被告人林明は右偽造した遺言書を行使したとして、いずれも有罪を認定処断した原判決は法令の解釈を誤つたものであると主張する。
原判決が本件遺言書に証人竝びに代筆人として被告人大塩義政の署名押印があることを認定したうえ、被告人らが共謀のうえ遺言者大塩安禧作成名義の本件遺言書を偽造し、被告人林明がこれを行使したとして有罪の認定をしたことは所論指摘のとおりである。
しかして、文書の偽造とは、作成権限を有しない者が、他人の名義を冒用して文書を作成することであるが、民法第九七六条に規定する方式により作成された遺言書は、その遺言書に記載してある遺言の主体である遺言者が名義人であつて、遺言者の口授を聞いてこれを筆記した者がその名義人ではない。
けだし、民法第九七六条所定の遺言は、遺言者が疾病その他の事由によつて死亡の危急に迫つた場合、自ら遺言書を作成することができないため、自己の遺言書を作成させる目的で、同法第九七四条所定の欠格事由に該当しない限り、何人であるとを問わず証人として三人以上の立会を求めて、その一人に遺言の趣旨を口授し、その口授を受けた者をしてこれを筆記せしめることによつてなすものであり、遺言書の内容をなす遺言の表意者はあくまでも遺言者本人であり、口授を受けてこれを筆記する者は、ただ立会証人であり、機械的な筆記人であるに過ぎないし、同条が各立会した証人に署名押印をなすべきことを規定している趣旨も、内容の真正を担保することを目的とするものと解せられるから、遺言書自体には、証人及び筆記人の署名押印のみが存し、遺言者本人の署名押印は通常存しないけれども、その文書の内容、形式自体からして、その作成名義人は遺言者本人であることが自ら明らかであるからである。
弁護人は、裁判所における証人尋問調書の作成名義人は、証人ではなくしてその供述を録取した裁判所書記官であり、検察官に対する供述調書の作成名義人もまた供述者本人ではなくして、その供述を録取した検察官であるから、これと同様本件遺言書の作成名義人も、遺言者の口授を受けて遺言を録取した者であると主張するけれども、右裁判所書記官又は検察官は、証人又は供述者の指示委託により、その口授を受けてこれを機械的に書面に筆記し、その正確性を担保する意味においてその証人尋問調書や供述調書に自ら署名押印するものではなく、法令により特に与えられた権限に基づき、証人又は供述者の尋問、供述を聞いて、その尋問又は供述の内容を一旦自己の意識内容とした上で、これを証人尋問調書又は供述調書に表現し、その表現された調書の作成名義人として自ら署名押印するものであり、尚その上規則の定めるところによりその内容の正確性、供述の任意性を担保するために、その調書に証人又は供述者をして署名押印をなさしめるものであるから、裁判所書記官又は検察官自らが当然当該調書の作成名義人であるというべく、これをもつてただ単に遺言者から証人として選任せられて立会し、遺言者の指示委託に基づき、機械的にその口授を筆記するに過ぎない民法第九七六条の遺言書の代筆人を、その作成名義人であるとする論拠とすることはできない。
また、所論は、民法第一〇〇四条が、遺言者の作成にかかる「遺言者」は、家庭裁判所において「検認」、「開封」されなければならない旨規定しているにもかかわらず、民法第九七六条は、同条による遺言は「遺言書」の検認を受ける必要はなく、「遺言」の「確認」を家庭裁判所において受けることを要する旨規定していることからしても、民法第九七六条による遺言書は遺言者の作成名義にかかる文書ではなくして、遺言者の遺言を録取した筆記人の作成名義の文書であることが明白であると主張するけれども、民法第九七六条に規定する「遺言の確認」は、同条の遺言の方式が簡易であり、遺言者が死亡の危急に迫つている病者等であるから、それに乗じて立会した証人が、共謀して遺言者の意思に反した遺言書を作成したり、又はその意思を誤聞するおそれがあるから、家庭裁判所をして医師その他の証人により遺言者の当時の病状その他をただし、或いは立会した証人の平常の性行等から信用できる者かどうかを確め、遺言が遺言者の真意から出たものか否かを判断せしめるもので、遺言の方式が完全であるかどうか、遺言者や立会人の能力、資格等について判断するものではない。これに反し、民法第一〇〇四条に規定する「検認」は遺言の執行前に遺言書の状態を確認し、後日における偽造、変造を予防し、その保存を確実ならしめる目的で遺言書の形式、態様等もつぱら遺言の方式に関する一切の事実を調査して、遺言書そのものの状態を確定し、現状を明確にすることにあるのであるから、前記確認を受けた遺言でも遺言書の検認を経ないとこれを執行することができず、従つて家庭裁判所において遺言が、遺言者の真意に出たものであるとの心証を得たときは、その遺言がたとえ法定の方式を欠いていたとしてもこれを確認することができるのである。しかして、検認を受けることを要する遺言書は、所論のように遺言者自らの作成した遺言書のみに限らず、公正証書による遺言以外の遺言書は総てその必要があるのである。従つて、民法第九七六条に「遺言の確認」、同法第一〇〇四条に「遺言書の検認」の各規定があることをもつて、所論のように本件遺言書の作成名義人がその筆記人であるとする証左とはならない。
よつて、被告人両名共謀のうえ、被告人大塩義政が大塩安禧の死亡後において、同人の生前その遺言の口授を受けてこれを筆記したものであるかの如く虚偽の本件遺言書を作成したものである以上、右遺言書にその作成者被告人大塩義政が、筆記人として署名押印をしているにしても、右大塩安禧の作成名義を冒用して、同人の遺言書を作成した私文書偽造罪が成立することは明白である。
ましてや、本件遺言書写(証第一号)、審判謄本(証第四号)によれば、遺言書の名義人として遺言者大塩安禧の署名が記載してあり、記録に徴すれば、右署名は被告人大塩義政がほしいままに記載した事実が認められるのであるから、原判決がこれを偽造した他人の署名を使用した場合の刑法第一五九条第一項所定の私文書偽造罪に該当するものと認定し、原判示第二のとおり被告人林を偽造私文書行使罪に問擬したことは相当であり、原判決には所論法令の解釈適用を誤つた違法はないから論旨は理由がない。
論旨第二点、原判示第三事実についての法令違反、事実誤認の主張について、
所論は、原判示第三の事実につき被告人大塩は広島家庭裁判所において、本件遺言の確認審判事件につき証人として審問を受けたが、同裁判所は証人大塩義政に宣誓書を朗読させていないし、宣誓の趣旨の諭示、偽証の罰の警告もしていない。また、起立して厳粛に宣誓手続をしていないから、同人は「法律により宣誓した証人」とは認められない。従つて刑法第一六九条にいう証人ではないのに、被告人大塩を法律により宣誓した証人として偽証罪に問擬した原判決には、法令の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認した違法があると主張する。
刑法第一六九条によれば、偽証罪の主体は「法律により宣誓した証人」であることを要し、「法律により宣誓した」とは、法律の規定に基づいて宣誓し、且つ法律の規定する形式に従つて宣誓したことをいうものと解せられる。しかして、記録を検討し、広島家庭裁判所昭和三四年(家)第六五六四号遺言確認事件の審問調書謄本(証第二号)に徴すれば、被告人大塩義政は、昭和三四年四月二一日広島家庭裁判所において、遺言者大塩安禧の遺言確認審判事件につき、家事審判法第七条、非訟事件手続法第一〇条により準用せられる民事訴訟法の規定に基づき、証人として審問を受けたものであるところ、その審問の際同被告人が証人として宣誓書に署名押印したことは、右審問調書謄本中にその署名押印のある宣誓書謄本が添付せられてあるので、これを認めることができるが、その他の証人審問に当つて遵守すべき方式として民事訴訟法に規定せられてある(一)宣誓は起立して厳粛に行うこと(第二八六条)、(二)宣誓の趣旨の論示と偽証の罰の警告(第二八七条)、(三)宣誓書の朗読(第二八八条第一項)が履践せられたか否かは前記審問調書謄本によつてはこれを認め得られず、その他これらが履践せられたことを認めるに足る証左はない。
しかし、裁判所が証人を取り調べるに当つては、当然右方式を履践するのを通常とするし、右方式を履践したか否かは、調書に記載することを要する事項ではないから、調書に記載してないからといつて直ちにこれを履践しなかつたと断ずることはできないけれども、被告人大塩義政の原審公判における供述、同人の司法警察員、検察官に対する各供述調書、大塩稔の司法警察員、検察官に対する各供述調書を総合すれば、所論のように右方式は総て履践せられず、審問の終了した後、証人である被告人大塩をして宣誓書に署名押印のみをさせて審問調書に添付したのではないかと推認される。
若しそうであるとすれば、前記法律に規定してある方式に従つてなされなかつた右宣誓手続は甚だしく違法であるといわなければならないが、被告人大塩の前記原審公判及び供述調書における供述によれば、同被告人は広島家庭裁判所の審判廷において、審問を終つた直後、家事審判官及び裁判所書記官立会の面前で、民事訴訟法第二八八条第二項に規定する文言の記載してある宣誓書を手渡され、これを黙読して、その文言の意味を十分了解したうえでこれに署名押印したことが認められるから、被告人大塩は法律の規定に基づく証人として、法律に規定する文言に従つて虚偽の陳述をしないことを誓つたものというべく、従つて前記のような法律に定める宣誓の方式に従わなかつた欠缺があつたにしても、やはり「法律により宣誓した証人」に該当するものというべきである。けだし、審問終了後宣誓せしめることは、例外的ではあるが民事訴訟法第二八五条但書の認めるところであり、また法律が前記のような厳格な宣誓の方式を規定した趣旨は、証人に対して真実の陳述を求めると共に、虚偽の陳述をして偽証の罪に陥ることのないよう注意を喚起するための訓示規定と解するを相当とするから、右規定に違反した違法は、その陳述の証言たる効力を妨げないのは勿論、宣誓たる効力をも失わしめるものではないと解すべきであるからである。故に被告人大塩が前記認定のように審問終了後法律により宣誓しながら、それまでになした虚偽の陳述につきなんら変更訂正をしなかつた以上、これを偽証罪に該当するものと認定した原判決は相当であり、原判決には所論のような事実誤認も法令違反も存しない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋英明 裁判官 福地寿三 裁判官 田辺博介)